しんちゃんの七輪陶芸、12年の日常

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エイリアン コヴェナント 9月23日(土)

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初作から40年、5作目になるエイリアン:コヴェナント。
リドリー・スコット監督なので見に行ってきました。
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イオン熊谷店1階の菜家園で香港焼きそばを頂いて。
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イオンシネマへ、だんだん省力化でつまらなくなっていく。
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やっぱり映画は、監督と脚本だなと思う。
SFホラーといわれて、半分納得。

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by shinchan7rin | 2017-09-23 08:51 | 散歩 | Comments(0)

舗装工事 9月22日(金)

裏の通の舗装工事が始まった。
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今まで直進していたものが、右へ折れて新設道路に繋がる。
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アスファルトの打設機が入ってくる。
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みるみるアスファルトが敷かれていく。
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もうあとわずか。
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アスファルトを補充して。
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終了、ものの30分強。

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by shinchan7rin | 2017-09-22 08:47 | 寄居町 | Comments(2)

足場と佐伯泰英 9月21日(木)

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外装工事は高い部分が終わったので、足場を解体。
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足場担当は違う会社。
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足場が片付いたところで、外装工事の続き。
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だいたい終了しました。
いやいや、樋の落としが残ってる。
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      「湯島ノ罠 居眠り磐音 江戸双紙44」 著 佐伯泰英
 寛永年間(一六二四~四四)、三代将軍家光は、神君家康を祀る日光東照宮の造営にあたり、諸国から優れた職人や匠を日光やその周辺へ集めた。
 岩槻は日光街道の一夜目の将軍の御宿であり、この岩槻城下に造営や修復に携わる職人たちが住み、大事業に関わった。そして、造営が終わってもこの土地に残り、暮らしを立てるためにこの界隈に多く植えられた桐材で箪笥を作り始めたという。
 そんな職人の中に人形造りもいた。
 また元禄十年(一六九七)、京の堀川の仏師慶信が旅の途中にこの岩槻城下で病に倒れ、時の藩主小笠原長重の藩医の治療を受けて回復した。
 恵信はこの地の人情にほだされて岩槻に住むことにした。
 この仏師が目をつけたたのが人形造りに使う桐粉だった。恵信は桐粉をしょうふ糊で練りかためて、人形の頭を作る技をこの地に伝えた。

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by shinchan7rin | 2017-09-21 08:52 | 読書 | Comments(0)

男子会と梶よう子 9月20日(水)

月に一度の男子会、連絡ミスもあり出席8名。
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鉢形の台湾料理:祥瑞、空いているからと予約は無し。
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まずは乾杯、下戸が二名:運転手である。
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いろいろ頂きましたが、なんかいまいちでした。
店がよく入れ替わる場所柄、長いことないかもしれない。
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      「ヨイ豊」 著 梶よう子
 校合摺りは、絵師が描いた版下絵を墨一色で摺ったものだ。絵師はそれに色を差して、再び彫師へ戻す。彫師は色数を見ながら、色版を彫りおこす。
 使われる色数によって版木は幾枚にもなる。版木の枚数を抑えるため両面を使い、摺り抜きといって二色以上を一枚の版木に載せて摺ることもある。ただし、売れ行きのよくない錦絵の版木はすぐさま削られ、新しい彫りが施される。
 その彫りにもさまざまな技がある。とくに髪の生え際の毛割りなどは、わずか一分(約三ミリ)の間に十五本も彫る。まさに髪の毛一本ほどの精緻さだ。
 彫りを終えると、版木は摺師に回される。摺りにも多くの技法がある。色を次第にぼかしていくぼかし摺り、一度摺った箇所に別色を重ねるかけ合わせ、色を置かず、版木に布を貼り付け、馬連で布目を浮き立たせる布目摺りなどだ。これらの技法を幾つも組み合わせることで、絵に奥行を持たせ、立体感を出し、眼にも鮮やかな錦の画となる。


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by shinchan7rin | 2017-09-20 09:01 | 読書 | Comments(0)

外装工事と佐伯泰英 9月19日(火)

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外壁に外装トタン張りが始まった。
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結構進むね。
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1日でここまで。
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      「徒然ノ冬 居眠り磐音 江戸双紙43」 著 佐伯泰英
「過日、お見せした康継じゃがな、拭いも刃取りも磨きも終えた。残るはなるめで、帽子(鋩)を研磨すれば完成じゃ」
 と言った百助が白木の短刀を磐根に差し出した。
 仕上げ研ぎを終えた刃は拭いに入る。
 拭いとは刀身に光沢を与える作業である。細やかな粉末にした酸化鉄を丁子油に混ぜ、吉野紙で漉したもので磨く金肌拭いを終え、刃の部分を白く仕上げる刃取りをなし、棟と鎬地が細かい鉄棒で磨きをかけられていた。ために刀独特の黒い光沢が康継に生じていた。
 そして、残された最後の過程は、
「なるめ」
 と呼ばれる作業で、帽子(鋩)を研磨することだけだった。

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by shinchan7rin | 2017-09-19 08:55 | 読書 | Comments(0)

休日の河原と佐伯泰英 9月18日(月)その2

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台風一過晴れた日の河原でエンジン音が聞こえる。
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岩場でバイクで遊んでいる。
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向こう岸で、木が茂っているのでよく見えない。
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      「木槿ノ賦 居眠り磐音 江戸双紙42」 著 佐伯泰英
 その間に、上野国から信濃国にかけて空前の災害に見舞われた。
 天明三年七月八日朝の四つ(午前十時)自分に浅間山が大音響とともに大爆発を起こし、死者五百人弱、行方不明負傷者多数、家畜田畑の損害甚大という被害を生じさせた。
 高さ三千尺以上もの噴煙を上げ、遠く江戸でも夜間になると真っ赤に夜空を焦がす噴煙が望めた。さらに降灰は関八州に及び、江戸でも一寸以上の灰が積もった。

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by shinchan7rin | 2017-09-18 19:50 | 読書 | Comments(0)

ウェーブプレート 9月18日(月)

七宝にインスパイアされて、皿の装飾を思いつく。
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叩いて伸して、ローラーで伸ばして、
厚さ7mm直径28cmのプレートを成形。
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撚り土を貼り付けて、模様にする。
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だいたいこんなところ、何に見えますか。
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縁を少し立ち上げて、乾燥。
撚り土の模様の中を釉薬で埋める予定。

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by shinchan7rin | 2017-09-18 09:15 | 須恵の会 | Comments(0)

道路工事と梶よう子 9月17日(日)その2

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裏の道路でアスファルトをはがし始めた。
道路が付け替えられるらしい。
ユンボの先で右へ逃げて、新設道路へ合流となる。


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     「立身いたしたく候」 著 梶よう子
 旗本は、上様に会えるお目見え以上で、御家人はたいていがお目見え以下となっている。小普請ではお目見え以上は小普請支配、お目見え以下は小普請組と呼ばれる。また小普請組は八組に分かれていて、組ごとに組頭がひとりいた。
 そもそも小普請は、お役を退いた老年の者や家督を継いだばかりの者、若年の者、あるいはしくじりを犯して役を解かれた者、長患いの者など、禄高三千石未満の旗本御家人が所属する無役無勤の集団だ。

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by shinchan7rin | 2017-09-17 16:36 | 読書 | Comments(0)

ちょっとだけ外装工事 9月17日(日)

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板金屋さんがひとりで仕事。
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今はなくなった隣の倉庫の大屋根からの雨だれが、
我が家の壁を伝って落ちて雨漏りした出窓に屋根がついた。
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同じく雨漏りした窓にカバーが。
連休前の工事はここまで。


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by shinchan7rin | 2017-09-17 09:14 | 散歩 | Comments(0)

佐伯泰英 9月16日(土)その2

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     「散華ノ刻 居眠り磐音 江戸双紙41」 著 佐伯泰英
 芝居町のことを江戸の人々は親しみを込めて、
「二丁町」
 と呼んだ。芝居興行を幕府が認めた公許の中村座、市村座などが旧吉原近くの葺屋町、堺町に集中していたからだ。これに対して、
「五丁町」
 とは吉原の異名で、江戸町一丁目、江戸町二丁目、京町一丁目、京町二丁目、そして角町で廓内が構成されていたからだ。

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by shinchan7rin | 2017-09-16 18:04 | 読書 | Comments(0)

今日もこんなことがありました。造って焼いてその日に使える七輪陶芸、一緒にやってみませんか。
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