しんちゃんの七輪陶芸、12年の日常

8月8日(月)

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   「おそろし 三島屋変調百物語事始」  著  宮部みゆき
「亡者はおりますよ」
笑いを切って、芯の通った声音に戻り、お福が言った。おちかはその顔をひたと見つめた。
お福の口元も、まったく笑っていなかった。恋する娘のように真剣だった。
「確かにおります。おりますけれど、それに命を与えるのは、
わたしたちのここでございます」
ここというところで、さっき「今のお福」といったときと同じように、胸の上に掌を置いた。
「同じように、浄土もございますよ。ここにございます。
ですから、わたしがそれを学んだとき、姉は浄土に渡りました」
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# by shinchan7rin | 2011-08-08 13:48 | 読書 | Comments(0)

8月7日(日) 須恵の会

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午前中須恵の会、T橋氏の作品、練り込みを叩いて伸ばして・・・
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マグカップのハンドルに色違いの信楽特練で覗き猫が乗った。
帰り道スーパーで用足しをしたら、車がエンスト。
Sトウさんを休日のところをお呼びだてしてヘルプしていただく。
暑さにぐったりしながら救助隊を待つ。
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# by shinchan7rin | 2011-08-07 15:01 | 七輪陶芸 | Comments(0)

8月6日(土) 我が家のアルバム 光頭会

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   昭和8年5月7日、長瀞、舟下り。
右から2・3人目がフランス大衆紙「プチ・ジュルナール」よりの特派員、漫画家:オスカー・ファブレス夫妻。
左から3人目が我が家の先々代、中島半兵衛、曽祖父である。

長瀞へ着いて見ると、若葉の森に囲まれた丘の上に非常に古い木造の社があった。
その建築の軽快な均整と、白木の彫刻と、一切唐風の影響を受けないところが、余にはひどく気に入った。
同じ社でも日光のそれは余の趣味から言うと少し豪華の誇りが強すぎて、これの清純なるに及ばない。
兎に角金に飽かせても幸せを買うわけには行かぬもの、殊更芸術の領域では然うである。
長瀞の社こそ、素朴なハイカラ味があって、若葉の燃え立つ森の魂とぴったり添った美しさがある。
それから、それこそ版画にあるような風光の中で昼飯を摂り、
皆して奔流のうづまく渓流へ出て舟遊びと洒落た。
方々の岩の上に、カメラを弄ぶ人たちが多勢いて、余等の軽舟を見かけては、一身にレンズを合わせる。
それも此方から見れば、よき眺めの一つであった。
快き一日を終わって東京へ戻った余等は、
露出した頭のいただきが日焼けしていつもよりは一段と光芒を増した事だったが、
相見互いに心の愛の通う禿頭の人々こそ、夢ならぬ国際交歓のユートピアを実現すると思えた。
若しそれ余に至っては余も亦光頭の一人として、また新聞人として、
此の好意ある人々の国と余の祖国との間に立って、
痩せたりと雖も立派に両者の緊線と成らん事を、心ひそかに盟った。
余は今後、あらゆる機会を取って、
余が今は深くも愛する日本の眞面目を伝えようと思う。
我が家のアルバム、光頭会。
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# by shinchan7rin | 2011-08-06 10:59 | アルバム | Comments(2)

8月5日(金) 担当ドクター

昨日の定期受診のように、通常の受診予約の場合は余り待たされない。
久しぶりに担当主任ドクターと面会。
自分としては多少頷き切れない面もあるが、術後の経過良好のお墨付きが出た。
ということで、次回の受診は一ヵ月後。
薬の処方箋発行に関して、一ヵ月分書けない薬の処置を講じて終了。
帰ってきてから、先日成形し始めたカップを修正しハンドルを付ける。
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# by shinchan7rin | 2011-08-05 09:47 | 七輪陶芸 | Comments(0)

8月4日(木) 定期受診

久々に晴れたので、カミさんは息子を連れて芝刈りに行きました。
暑くなりそうやネエ。
私は群大まで定期受診、予約の時間が午前最終なのでゆっくり。
先週のシンチグラフィー検査の結果も聞いてきます。
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「李陵・山月記」 著 中島敦
当座の盲目的な獣の苦しみに代わって、より意識的な・人間の苦しみが始まった。
困ったことに自殺できないことが明らかになるにつれ、
自殺によっての外に苦悩と恥辱から逃れる途の無いことが益々明らかになってきた。
一個の丈夫たる大史令司馬遷は天漢三年の春に死んだ、
そして、その後に、彼の書残した史をつづける者は、
知覚も意識もない一つの書写機械に過ぎぬ。
凄惨な努力を一年ばかり続けた後、漸く、生きることの歓びを失いつくした後も尚
表現することの歓びだけは生き残りうるものだということを、彼は発見した。
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# by shinchan7rin | 2011-08-04 09:06 | 読書 | Comments(0)

8月3日(水)

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  「緋友禅 旗師・冬狐堂」 著 北森鴻
陶子がもうすぐそこに三十の歳を迎えようとしていたときのことだから、十年ほど前になる。
当時は旗師ー店舗を持たない古物商ーとして活動を開始して間がない頃で、
目端が利く、利かないの区別さえもよく理解できない半素人である。

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  「たどりそこねた芭蕉の足跡 八州廻り桑山十兵衛」 著 佐藤雅美
古河市は茨城県の西のはずれにある。江戸時代は下総の国葛飾郡に属した。
下総の国というと千葉県で、古河市も明治のごく初期は千葉県だった。
新治県という県があった。明治八年にこの県が茨城県と合併し、
古河市(当時は町)はそのとき千葉県の四郡などとともに茨城県に編入された。
茨城県というと常陸国である。
だからやはり、古河市が茨城県というのは今でも奇異な感じがしないでもない。
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# by shinchan7rin | 2011-08-03 10:48 | 読書 | Comments(0)

8月2日(火) 「直ちに健康に影響する数値ではない」の嘘

 「七万人が自宅を離れてさまよっている時に国会はいったい何をやっているのですか」。
火を吐くような気迫に衆院委員会室は静まり返った。
先週、厚生労働委員会に参考人として呼ばれた東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授の発言だ。
(16分かかりますがぜひご覧ください!)
教授の試算は衝撃的だった。
福島第一原発の事故で漏出した放射性物質は広島原爆の約二十個分。
一年後の残存量は原爆の場合、千分の一に減るが、原発から出た放射性物質は十分の一程度にしかならないという。
福島県南相馬市で自らが手掛けている除染活動を通じ、内部被ばくから子どもを守ろうとする責任感が伝わる発言だった。
国会の怠慢を厳しく批判する先には、動きがあまりにも鈍い国への憤りがある。
細野豪志原発事故担当相は日本記者クラブでの記者会見で「除染作業こそ国家的プロジェクト。
福島の皆さんに希望を持っていただける」と語っている。
今後、除染作業が兆単位の公共事業になるのは間違いない。
児玉教授は、民間の技術を結集し直ちに国の責任で除染研究センターを設置するよう求めた。
避難住民を無視した利権まみれの公共事業にしてはならない。
「人が生み出した物を人が除染できないわけがない。
福島におけるセシウム除染は、次の世代への日本の科学者の責任である」。
教授は医学雑誌にそう記した。学者の良心に希望を感じる。

      東京新聞、8月1日、コラム。
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# by shinchan7rin | 2011-08-02 08:41 | 意見 | Comments(0)

今日もこんなことがありました。造って焼いてその日に使える七輪陶芸、一緒にやってみませんか。
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