しんちゃんの七輪陶芸、12年の日常

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病院と司馬遼太郎 12月16日(金)

かつてのかかりつけ医の紹介状を持って。
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先生は引退してしまわれた。
半年前に書いてもらったもの、その間に一度群馬大学病院へ行っている。
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歩いて行ける本町クリニック。
ここが新しいかかりつけ医になる。
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      「韃靼疾風録 下」 著 司馬遼太郎
 即位の日がきた。
 明の毅宗九年四月乙酉の日、ホンタイジは女真やモンゴルの族長や群臣をあつめ、かれらの推戴をうけるというかたちをとった。のちにかれは太宗とよばれるが、この即位の日に群臣からたてまつられた尊称は、寛温仁聖皇帝というながい呼称だった。むろん、上の四文字は形容のことばで、要するに皇帝ということであった。ホンタイジ、このとき四十半ばである。
 国号の清もこのとき公式に発せられ、さらには明とはべつの年号がたてられた。崇徳という。その元年になる。
 ホンタイジは、皇帝として天を祭ったあと、諸臣をひきいてヌルハチの廟に詣り、祖霊に報告した。このときヌルハチの送り名を太祖とした。またヌルハチの父や祖父などにも、王の称号をおくった。澤王、慶王、昌王といった名で、これらの祖たちのありようは、生前山河を駆けまわって狩猟をしていたひとたちで、もし霊というものがあれば、おのれが王になったことに仰天したにちがいない。




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by shinchan7rin | 2016-12-16 09:13 | Comments(0)

ダイハツ点検と司馬遼太郎 12月13日(火)

ダイハツで12カ月点検。
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持ち込んで、待つ。
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女性の整備士さんでした。
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コーヒーとチョコレートが出ます、約1時間。
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     「韃靼疾風録 上」 著 司馬遼太郎
 じつをいうと、タタール(漢字表記して韃靼)とは、もともとモンゴル民族内部での一部族の呼称にすぎなかった。元以前の宋代の漢民族が、モンゴル人全体を韃靼とよびはじめ、元代ではそのようによぶことをはばかって表面ではそういう呼称をつかわなかった。元がほろぶとき、中国大陸を支配していたモンゴル兵は、土地に執着せず、風のように騎馬で北の草原へ帰って行った。そういう不思議な滅亡の形態を当時、北帰とよんだ。明帝国では、草原に北帰したモンゴル人のことを、いやしんで韃靼とよぶようになった。
 草原に戻った〝韃靼″は、四分五列し、弱くなった。ときに長城をこえて侵入することもあったが、明軍によってつねにおさえこまれた。もはや、その民族には、元帝国のころの剽悍さはみられず、まして一国を新興させる力などはない。




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by shinchan7rin | 2016-12-13 09:17 | 読書 | Comments(0)

パウンドケーキと司馬遼太郎 11月2日(水)

カミさんが焼いたパウンドケーキ。
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かなりのボリューム。
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切ってみると中には栗の渋皮煮。
なかなか食べきれませんね。
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      「戦国の女たち」 著 司馬遼太郎
 それが大坂屋敷に到着すると、成政はすぐその一輪を金蒔絵の塗桶に活け、北ノ政所の秘書役である老尼の孝蔵主までとどけた。孝蔵主は待ちかねていた。ときをうつさず、北ノ政所の部屋に入り、その床の間に置いた。
「これが」
 目録にあった黒百合か、と北ノ政所はつぶやいたまましばらく声が出ず、うなじを伸びるだけのばして花に見入った。黒い、というよりも厳密には暗紫色を呈している。しかし想像した漆黒の花弁よりもその自然な色のほうが紙障子のあかりのなかでは冴えざえとして黒かった。やがて北ノ政所はふとった体をたえまなく動かして自分のよろこびを表現しはじめた。




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by shinchan7rin | 2016-11-02 09:31 | 読書 | Comments(0)

十月桜と司馬遼太郎 10月28日(金)

桜植樹地にて。
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十月桜が。
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ちらほらと。
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咲いている。
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      「風の武士(下)」 著 司馬遼太郎
「洪庵先生が、生涯それをやろうと思ってやれなかった遺志をつぐ。
つまり、われわれ日本人の先祖が、いったいどこからきたかという学問だ。周囲をみてみろ。われわれの顔は韓人にも似ているし清国人にも似ているが、しかしそっくりとは云えない。どこか似ていない。いや、根本的に似ていないともいえる。――この顔の先祖はどこからきたか」
「おそらく、韓人や清人の血はまじっているだろう。蝦夷の血も、琉球、奄美人の血もまじっている。が、それらの顔をひとつるつぼのなかに溶かしてみても、日本人の顔はできあがらない。日本人のなかには、目がくぼみ、鼻がかぎになったまるで南蛮人のような顔が、いくらでもいるからだ。韓人、清人、蝦夷、琉球のほかに、日本人の顔をつくった謎の人種が、きっとある」




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by shinchan7rin | 2016-10-28 09:09 | 読書 | Comments(0)

パンと司馬遼太郎 10月27日(木)

カミさんが焼いたココア入りのパン。
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砂糖で蝙蝠模様、ハロウィーン向けです。
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中はクリーム。
こういうイベントは趣味ではないのだが、食べておいしいから許す。
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      「風の武士(上)」 著 司馬遼太郎
「しかし、お勢以。せっかくだが、おれはうずの中に入るぜ。人間うまれてきて、てめえの皮をてめえだけでぼりぼり?いて、用心堅固に送るのも一生だが、おれの気にはいらないね。おれは、うずをみれば足を浸けたくなる。五番堀のころのように、まずはうずを乗りきってみせるつもりだ。巻きこまれて、自分が自分でないような、他人のためにだけ大汗かくようなことはしない」
「いま云ったとおり、私のすわっている場所はそんな所だ。金をもらったために、自分を売り渡してしまうようなことはしない。自分がうずの中で面白がりゃ、それでいいんだ。――ちょっと、あんたにはこまった味方かもしれないが」




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by shinchan7rin | 2016-10-27 09:33 | 読書 | Comments(0)

ケーキと司馬遼太郎 10月21日(金)

カミさんが焼いたパウンドケーキ、紅玉入り。
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生クリームがたっぷり入っているので、こってり重い。
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おすそ分けを狙ってきたのか。
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     「箱根の坂 下」 著 司馬遼太郎
 ようやく軍がうごいた。
 的なる山内上杉氏の顕定は、荒川のほとりの鉢形城に本営をおいている。
「ひと息に踏みつぶすべし」
 と、扇谷上杉氏の定正は川越城を出て、北方へむかった。
 敵の鉢形城は、うらやましくなるほどに要害の地にある。武蔵の西北方の山地が、東方の坂東平野に山脚をのばして尽きたあたりにあった。そのあたりは、古い時代、荒川が山を削って崖となし、地を掘って淀みをつくっている。
 本丸、二ノ丸、三ノ丸は、荒川とその支流の深沢川の上にうかぶ島嶼のようなもので、とてもまともには攻められない。その上、深沢川をたくみにとりこんで、外曲輪まで巧に増設されていた。




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by shinchan7rin | 2016-10-21 08:57 | 読書 | Comments(0)

栗の渋皮煮と司馬遼太郎 10月19日(水)

10月も半ばすぎというのに、昨日の暑さ。
Tシャツ1枚で過ごしました。
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季節のお気に入り、栗の渋皮煮。
鬼皮をむくとき渋皮に傷をつけると、煮ていて崩れてしまう。
甘みをつけるのを上手にやらないと、固くなってしまう。
大事に食べていると、味が落ちてしまう。
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     「箱根の坂 中」 著 司馬遼太郎
 ――伊勢家も武門であるかぎり、小笠原家にならって外向もよきようにならねばならぬ。
 と、先代の伊勢貞親は言い、早雲が若いころ、命じて小笠原流の弓を学ばせた。早雲に天稟があったために名人の域に達したが、しかし世間には先入主があって伊勢家の弓などを学ぶ者はなく、早雲はそのほうの師匠として世に立つこともできなかった。
 早雲は夜半に起きた。
「門前に馬を曳いておけ」
 と、小者に命じ、みずからは流鏑馬の装束をした。>
 身には、精好(絹織物の一種)の水干の上下をつけ、ふとももは夏毛の鹿皮の行縢でおおい、鹿のなめし皮の沓、腕には金襴の射小手。手にはおなじく鹿皮の手袋をはめ、頭には綾藺笠をいただいた。畳表にもちいる藺で編んだ笠で、ふちは藍色の皮でつつまれている。




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by shinchan7rin | 2016-10-19 09:49 | 読書 | Comments(0)

立入禁止と司馬遼太郎 10月17日(月)

十一屋第二工場の入り口。
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立入禁止の札がはられて、
20基以上置いてあった醸造タンクが無くなった。
従業員駐車場には、今月になってからは車がない。
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     「箱根の坂 上」 著 司馬遼太郎
 伊勢新九郎長氏は、のちに北条早雲として知られる人物になる。早雲とは頭を剃ってからの名で、正しくは早雲庵宗瑞と称した。
「北条」
 という姓も、晩年に称したらしい。
 らしいというのは、称した形跡が、資料の面ではうかがいにくいことによる。
 ともあれ、筆者は、早雲以前の伊勢新九郎時代に関心がつよく、さらには新九郎の思想の形成に大きく影響した――というよりも早雲を生みあげたというべき――室町期の世情と応仁・文明ノ乱につよく心をひかれた。




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by shinchan7rin | 2016-10-17 09:15 | 読書 | Comments(0)

パスタランチと司馬遼太郎 8月26日(金)

ゴスぺラ・ミュウのレッスンへ行く途中、長瀞のKanへ。
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ブドウの高田園も併設。
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キャベツとオクラと海老のパスタ。
パスタはキャベツの芯が硬いのと味が単調なので、完食ならず。
その前に、サラダの前菜とジャガイモの冷製スープが出ているので。
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こちらはたっぷりやさいともっツァレラチーズのトマトパスタ。
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     「翔ぶが如く (十)」 著 司馬遼太郎
 この手紙は、いかにも薩摩人の美意識が汪溢しているともいえる。
「勝ちは目前にある。敵味方の兵力強弱も差はない」
 というのは、西郷がこの期におよんでもそう認識していたともとれるし、また、わざとそう言ってはげましたともとれる。さらにいえば、西郷が最も愛した同胞の薩摩隼人が、およそその伝統にふさわしからぬほどに士気がくじけてきたのを情けなく思い、大いに皮肉をきかしてかれらを奮起せしめようとしたともとれる。西郷が言いたかったのは、最後の一行であろう。鳥羽伏見のときも、後方の西郷は予備隊を控置していなかった。苦戦中の前線から援軍を乞う使いがくるたびに、
「みな死せ」
 と、叱咤した。全員戦死の気魄でやればなんとかなる、というのが西郷の戦争哲学であった。鳥羽伏見は、これでなんとかなり、本来革命家である西郷が、そのときの勝利によって戦いの指導者としても神秘的盛名を得るようになった。
 延岡におけるこの段階でも、西郷は鳥羽伏見で成功した叱咤によってふたたび成功しうると思ったかどうか。ある方法で成功した将軍は他の局面でもかならずそれを繰りかえすといわれるが、西郷においてもなおそうであったか。

※全十巻、ようやく完読。




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by shinchan7rin | 2016-08-26 10:02 | 読書 | Comments(0)

散歩のニャンと司馬遼太郎 8月24日(水)

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大勢さんお集まりで、目線をくださいな。
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早速、ありがとう。
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     「翔ぶが如く (九)」 著 司馬遼太郎
 筆者の手もとに、一葉の古写真がある。
 一人の薩摩兵の全身像で、一個の男子像としてこれほど渾身に闘志を蔵している姿をかつて見たことがない。
 頭に中折帽をかぶっているが、中折がふくらみ、ふちが垂れて、お釜帽のようになっている。かれにとってこの帽子は薩人に共通するハイカラ趣味のあらわれであろうかと思える。服は黒っぽい詰襟服で、腰に白い兵児帯を幾重にも巻き、大刀をほとんど水平になるほどにして差している。薩人は落し差しを好まず、武骨な閂差しを好んだが、その意味でかれは典型的な薩摩風の帯刀姿であるといっていい。
 右腕に白い腕章を巻きつけ、右手に指揮棒をかいこむようにし、そのみじかい旗竿の先端をかたく拳の中に包みこんでいる。
 ズボンのすねから下は黒い脚絆で包み、足は黒か紺の足袋をはき、わらじできりきりと固め、両足を心持ひろくひらいている。左手は刀のつばに親指をかけ、たくましげな腰に重心がずっしりとさだまり、いまにも跳躍するか抜刀するかといった感じがするが、全体としては静かな立ち姿にすぎない。
 年のころは二十七、八かと思える。指揮棒をもっているところからみると、かれは半隊長ぐらいの下級士官であろう。無名の薩摩隼人といってもいい。
 薩摩武士は自然に成ったものではなく、藩そのものが一大教育機関になって、戦国末期以来、士族を鍛えに鍛えてきた結果として成ったものといわれている。一見して、他藩の士とちがうといわれたが、戦士として日本最強のかれらを、それも一万余という大人数で持って手に入れたのが西郷・桐野であり、かれらが、百人、二百人という単位ごとに山野を駆けまわるのをみれば、桐野ならずとも天下のことは成れりという気がしたであろう。




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by shinchan7rin | 2016-08-24 09:25 | 読書 | Comments(0)

今日もこんなことがありました。造って焼いてその日に使える七輪陶芸、一緒にやってみませんか。
by shinchan7rin
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